アメリカセミナー旅日誌
渡米前日に台風21号の影響で関西空港が水没・冠水!それでもアメリカへ。 アメリカ旅日誌Vo.1
あかとき庵院長の小松が操体サミット2でセミナーをしに単身渡米。 | 【アメリカ旅日誌Vo.1】台風の影響が残る中、果たして小松はアメリカへ辿り着くことはできるのか!?山あり谷ありのアメリカ道中を書きました。 |
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こんにちは。
整体・操体 あかとき庵の小松です。
9/4の台風はすごかったですね〜。
実はこの日は私がセミナーをしに
渡米する前日の日。
関空を結ぶ連絡橋の破損に加え、高潮による
水害で関空は交通がストップし閉鎖状態。
私のフライトはその翌日の便だったので、
「果たしてアメリカへ行けるのか?」と、
もうニュース速報から目を離せませんでした。
結局、日付が変わった9/5の深夜に
私が乗る予定だった飛行機の欠航が確定。
嗚呼、アメリカ行きが遠くなっていくでは
ありませんか。。。
何だか身体の力がぬけそうになりながらも、
妻からの
「何をボ〜ッとしているの!逆に緊張感を ださないと!!」
という言葉で気持ちを奮いたたせ、
具体的な解決策を調べるのと、
アメリカのメンバーへの連絡などで、
ほぼほぼ寝ずの番のような状態で
夜を明かしました。
そしてJALの電話窓口がスタートする
朝8時ピッタリに私の携帯と妻の携帯で
航空会社に電話。
以外にもすんなり電話はつながり、
スムーズに飛行機の振替の手続きが
できたのでした。
しかしまだドタバタ劇は終わりません。
振替の飛行機は18:00に成田空港発の便
だったので、最終的な荷造りを急いで済ませ、
10:30に京都駅到着。
伊丹空港行きのバスに乗車。
めちゃくちゃ混雑している伊丹空港での
チェックイン後、
13:00の国内線で羽田空港へ。
そして成田空港行きのリムジンバスに乗車し、
16:30頃に成田に到着。
17:50に成田からロス行きの飛行機に
乗り込み、ようやくひと段落。
と思いきやロスでは思いもよらない関所が・・・。
整体・操体 あかとき庵の小松です。
9/4の台風はすごかったですね〜。
実はこの日は私がセミナーをしに
渡米する前日の日。
関空を結ぶ連絡橋の破損に加え、高潮による
水害で関空は交通がストップし閉鎖状態。
私のフライトはその翌日の便だったので、
「果たしてアメリカへ行けるのか?」と、
もうニュース速報から目を離せませんでした。
結局、日付が変わった9/5の深夜に
私が乗る予定だった飛行機の欠航が確定。
嗚呼、アメリカ行きが遠くなっていくでは
ありませんか。。。
何だか身体の力がぬけそうになりながらも、
妻からの
「何をボ〜ッとしているの!逆に緊張感を ださないと!!」
という言葉で気持ちを奮いたたせ、
具体的な解決策を調べるのと、
アメリカのメンバーへの連絡などで、
ほぼほぼ寝ずの番のような状態で
夜を明かしました。
そしてJALの電話窓口がスタートする
朝8時ピッタリに私の携帯と妻の携帯で
航空会社に電話。
以外にもすんなり電話はつながり、
スムーズに飛行機の振替の手続きが
できたのでした。
しかしまだドタバタ劇は終わりません。
振替の飛行機は18:00に成田空港発の便
だったので、最終的な荷造りを急いで済ませ、
10:30に京都駅到着。
伊丹空港行きのバスに乗車。
めちゃくちゃ混雑している伊丹空港での
チェックイン後、
13:00の国内線で羽田空港へ。
そして成田空港行きのリムジンバスに乗車し、
16:30頃に成田に到着。
17:50に成田からロス行きの飛行機に
乗り込み、ようやくひと段落。
と思いきやロスでは思いもよらない関所が・・・。
ロスでハプニング発生!
何と入国審査で私ひとり、
取り残されてしまったのです。
理由はアメリカでの滞在先の住所を書かないと
いけないことを知らず、住所を書き留めた紙が
なく通せんぼ。
「住所を知らせてくれないとオマエは入国できない」
と審査係は一点張り。
皆がぞろぞろと入国審査を終えるのを横目に、
たった私一人、無機質な部屋に取り残されて
しまったのでした。
しかし幸い、入国に必要なエスタの記入項目を
スクリーンショットした写真がパソコンにある
ことを思い出し、住所を無事記入。
ロスから飛行機を乗り継ぎ、
目的地のデンバー空港へ
何とかたどり着くことができたのでした。
それにしても何たるタイミングなのか、
台風の大被害を関空がこうむった日は
関空開設記念日だったそうですね。
実はこの日は僕の誕生日でもあるのですよ(苦笑)
そんなわけで、今までの人生史上の中でも
トップクラスに印象に残る誕生日を迎え、
夜7時過ぎにデンバー国際空港へ到着。
アメリカの講師メンバーと空港で合流し、
ニューメキシコシティーから車で来た
アーランドの運転で、夜のハイウェイを走り、
みんなで寝泊まりするシェアハウスのある
ボルダーへ。
夜闇の中でもわかる、どこまで行っても陸が
つづいていそうな広大なアメリカの大地。
それを窓越しから眺め、
アメリカに上陸した実感を得たのでした
何と入国審査で私ひとり、
取り残されてしまったのです。
理由はアメリカでの滞在先の住所を書かないと
いけないことを知らず、住所を書き留めた紙が
なく通せんぼ。
「住所を知らせてくれないとオマエは入国できない」
と審査係は一点張り。
皆がぞろぞろと入国審査を終えるのを横目に、
たった私一人、無機質な部屋に取り残されて
しまったのでした。
しかし幸い、入国に必要なエスタの記入項目を
スクリーンショットした写真がパソコンにある
ことを思い出し、住所を無事記入。
ロスから飛行機を乗り継ぎ、
目的地のデンバー空港へ
何とかたどり着くことができたのでした。
それにしても何たるタイミングなのか、
台風の大被害を関空がこうむった日は
関空開設記念日だったそうですね。
実はこの日は僕の誕生日でもあるのですよ(苦笑)
そんなわけで、今までの人生史上の中でも
トップクラスに印象に残る誕生日を迎え、
夜7時過ぎにデンバー国際空港へ到着。
アメリカの講師メンバーと空港で合流し、
ニューメキシコシティーから車で来た
アーランドの運転で、夜のハイウェイを走り、
みんなで寝泊まりするシェアハウスのある
ボルダーへ。
夜闇の中でもわかる、どこまで行っても陸が
つづいていそうな広大なアメリカの大地。
それを窓越しから眺め、
アメリカに上陸した実感を得たのでした
ボルダーに降り立つと・・・
無事にシェアハウスに到着し、
これから一つ屋根の下で生活をともにする
講師メンバーとワインで乾杯。
旅の疲労感やら、ホッとした安心感、そしてまだ
からだの奥にある緊張感など、混ぜこぜの感覚の
中に赤ワインが沁みわたる。
講師メンバーと少し談笑後、就寝。
就寝と言っても、これがなかなか熟睡できません。
何せ時差が15時間もあり、疲れてはいるものの、
からだはまだ起きているのですから。
そうこうしているうちに朝は来て、
アメリカとの世話役をしていただいた
ブラウン先生と近所を散歩。
ブラウン先生はお父様が宣教師で、
10代前半までは日本で過ごし渡米。
その後また来日し、日本の鍼灸学校を
卒業したという異彩な経歴の持ち主で、
日本語もペラペラ。
日米間の治療業界において、橋渡しの役割を
長年されていて、世界トップクラスの翻訳者、
通訳者としても知られています。
ブラウン先生と英語と日本語の2つの言語で会話を
しながら散歩をしているうちに、短い時間ではある
ものの絆が芽生えはじめた不思議な時間でした。
無事にシェアハウスに到着し、
これから一つ屋根の下で生活をともにする
講師メンバーとワインで乾杯。
旅の疲労感やら、ホッとした安心感、そしてまだ
からだの奥にある緊張感など、混ぜこぜの感覚の
中に赤ワインが沁みわたる。
講師メンバーと少し談笑後、就寝。
就寝と言っても、これがなかなか熟睡できません。
何せ時差が15時間もあり、疲れてはいるものの、
からだはまだ起きているのですから。
そうこうしているうちに朝は来て、
アメリカとの世話役をしていただいた
ブラウン先生と近所を散歩。
ブラウン先生はお父様が宣教師で、
10代前半までは日本で過ごし渡米。
その後また来日し、日本の鍼灸学校を
卒業したという異彩な経歴の持ち主で、
日本語もペラペラ。
日米間の治療業界において、橋渡しの役割を
長年されていて、世界トップクラスの翻訳者、
通訳者としても知られています。
ブラウン先生と英語と日本語の2つの言語で会話を
しながら散歩をしているうちに、短い時間ではある
ものの絆が芽生えはじめた不思議な時間でした。
その後は僕を今回のセミナーに招致してくれた
ボルダー在住のジェフェリー先生と、先生の
治療院で働いているグラチエーラ。
他にもジェフェリー先生の家に泊まっていた
ピーターご夫妻がシェアハウスに到着。
みんなで食事をし、セミナーの打ち合わせや
治療の交換会をしました。
それにしても、こんな平和で穏やかな時間が
アメリカで待っていようとは台風の日は想像も
できませんでした。
渡米するとき、異種格闘技イベント「巌流島」で、
54歳にして現役バリバリの菊野選手と先日
エキシビジョンマッチを敢行した平さんから
「トラブルは何故か逃げないと
ラッキーに繋がるんです。」
と言うコメントをいただいたのですが、
「本当にそうなってきたな〜」
とハンバーガーを頬張りながら思ったのでした。
この記事のハイライトビデオは
こちらでご覧ください!
↓↓↓
ボルダー在住のジェフェリー先生と、先生の
治療院で働いているグラチエーラ。
他にもジェフェリー先生の家に泊まっていた
ピーターご夫妻がシェアハウスに到着。
みんなで食事をし、セミナーの打ち合わせや
治療の交換会をしました。
それにしても、こんな平和で穏やかな時間が
アメリカで待っていようとは台風の日は想像も
できませんでした。
渡米するとき、異種格闘技イベント「巌流島」で、
54歳にして現役バリバリの菊野選手と先日
エキシビジョンマッチを敢行した平さんから
「トラブルは何故か逃げないと
ラッキーに繋がるんです。」
と言うコメントをいただいたのですが、
「本当にそうなってきたな〜」
とハンバーガーを頬張りながら思ったのでした。
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2018年アメリカ滞在旅日誌Vo1の記事は
↓↓↓
こちら
2018年アメリカ滞在旅日誌Vo2の記事は
↓↓↓
こちら
2018年アメリカ滞在旅日誌Vo3の記事は
↓↓↓
こちら
2018年アメリカ滞在旅日誌Vo4の記事は
↓↓↓
こちら
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2018年6月イタリアセミナー滞在記はこちら!
・イタリア滞在記2018 vo.1 「出国、愛しの街トリノ、操体セミナー」
・イタリア滞在記2018 vo.2 「美しいピエモンテ州。ガイドブックにのっていないイタリア」
・イタリア滞在記2018 vo.3 「イタリアの指圧スクール訪問、最後の夜」
↓↓↓
こちら
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2018年アメリカ滞在旅日誌Vo4の記事は
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・イタリア滞在記2018 vo.1 「出国、愛しの街トリノ、操体セミナー」
・イタリア滞在記2018 vo.2 「美しいピエモンテ州。ガイドブックにのっていないイタリア」
・イタリア滞在記2018 vo.3 「イタリアの指圧スクール訪問、最後の夜」